2011年3月23日水曜日

閉校式…、想い出を語る会…。

 去る、20日、日曜日、塩田小学校は閉校の日を迎えました。
 明治七年十月十三日、清田小学校塩田分校と称し、塩田、箱渕、笹谷が通学区域となりました。
 その後、海潮第三簡易小学校、塩田尋常小学校、塩田国民学校…そして昭和22年から塩田小学校となりました。明治35年12月には火災のため校舎焼失したり、昭和38年には3mの大雪で、校舎裏山の雪がなだれのおそれがあり、3自治会の公会所で分散教育が行われました。(今の交流センターのある場所にありました。)
 その頃から、安全な場所に校舎移転の話が出始め、昭和41年、土地買収、昭和49年現在地へ校舎新築。
 ……長い長い歴史がありました。

 閉校式典と想い出を語る会…その準備に追われた日々で、眠れぬ夜が続きました。
 皆がいい式にしよう!…との思いからなのですが、時間ばかりが経過し、あせりといらだちもありましたが、相談し合い、教育委員会の職員さんと一緒に一つ一つ確認をしながら進めて参りました。
 また、掛合町を参考にさせていただきながら…。
 掛合町出身の職員さんのアドバイスに、随分、助けられ感謝をしています。
 有難うございました!

 閉校式…。約240人。
 この度の東日本巨大地震でお亡くなりなられた方々への黙祷から始まりました。
 もちろん、児童会で作成していただいた応援募金箱を受付に設置し、一昨日、主事が届けました。
 
 心に残る、忘れられない式になりました。
 さすがに校旗返納で校長先生と市長とで納められた時は何とも言えない気持ちでいっぱいでした。
 淋しく悲しいのですが、でも、明るい未来に繫がる、素敵な閉校式でした。
 それは子ども達のお陰です!
 子ども達は式典終了後、昔の校歌も歌ってくれましたし、塩田の歴史…を6年生3人が発表し、6年生3人が作詞した「塩田讃歌」を歌い…、作曲は景山道隆先生(塩小太鼓の先生)です。
 最後はやはり塩小太鼓。
 今まで地域の皆が色々な場面で励まされた太鼓でした。
 出席者全員、感動されたことと思います!
 塩小太鼓としては、本当に最後の太鼓演奏…。

 想い出を語る会は、200人の出席。
 小学校の音楽発表会で当時の教頭先生に詩吟を習い発表した事がありましたが、3人の女子、現在、高校生と専門学校生になり、今もずっと先生に詩吟を習っているので、今回、先生と一緒に吟じてくれました。
 地域の方、塩田小学校で育った卒業生の皆様、現在塩田を離れていらっしゃる皆様もたくさん顔を見せていただきました。懐かしい先生もお出でいただきました。
 
 これまで私達は地域の中の学校として、塩田小学校を支え、支援、協力をして参りましたが今後は形を変えて、更に地域の拠点としての使い方を皆で一生懸命考えて参ります。
 塩田地区はこれからも頑張ります!
 今まで塩田小学校を支え、見守っていただきましたたくさんの皆様に厚くお礼申しあげます。
 本当に有難うございました!
 教育委員会の皆様、そして、地元委員会(振興会)の皆様、お疲れ様でした!

        『想い出を語る会』のしおりに載せたことばです。
  
    君が、貴方がくれた素敵な想い出を語り合いたい。
    君を、貴方を慕っていた仲間、楽しく懐かしい想い出は、
    両手いっぱい広げても抱えきれないほどのたくさんの思い出…。
    恩師、地域の人達、多くの方々に支えられ、君も貴方も育ちました。
    今、この厳しい殺伐とした日暮しの中で何が一番大切なのか…。
    そんなことをふと思うとき、故郷「塩田」の温かさを思い出し、胸は熱くなります。
    君を、貴方を育ててくれた学舎…、今日でお別れ…。
    でも命のある限り、君の胸に、貴方の胸に、いつまでも…、いつまでも…。
    ほら!胸に手をあてて、目を閉じてごらん!
    騒いで、いたずらして…、あの頃の賑やかな声が聞こえてくるでしょう!

 

 
  

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